韜晦~巧術其之肆 [とうかい~こうじゅつそのよん]

知人の芳木麻里絵さんも参加。

会期:2013年6月6日[木]-16日[日] 会期中無休
営業時間:11:00-20:00
会場:スパイラルガーデン[スパイラル1F] 入場無料
主催: 株式会社レントゲンヴェルケ
会場協力: スパイラル/株式会社ワコールアートセンター
出展作家協力: アンシール/ ギャラリー小暮
nca | 日動コンテンポラリーアート
幕内政治[ex-chamber museum]/ YOD Gallery
問い合わせ
レントゲンヴェルケ
tel/fax:03-3662-2666
http://www.roentgenwerke.com
an@roentgenwerke.com (広報担当;野瀬) 

出展作家
 1.あるがせいじ 2.石川結介 3.石黒昭 4.石黒賢一郎 5.石野平四郎
 6.伊藤航 7.小川信治 8.小倉涌 9.児玉香織 10.篠崎由美子
 11.清水遼太郎 12.杉山卓朗  13.中野渡尉隆  14.林茂樹  15.悠
 16.春山憲太郎  17.平林貴宏  18.福山一光 19.渕沢照晃  20.牧田愛
 21.増田敏也  22.満田晴穂  23.山口英紀  24.山本タカト  25.山本隆博
 26.芳木麻里絵


「韜晦ー巧術其之肆」 [とうかいーこうじゅつそのよん]

とう‐かい〔タウクワイ〕【×韜×晦】[名](スル)
1 自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと。  「何故貴女は自分をそれ程まで―して居られるのか」〈有島武郎・或る女〉
2 身を隠すこと。姿をくらますこと。 「章三郎は一と月ばかり―していたが」〈谷崎潤一郎・異端者の悲しみ〉
「デジタル大辞泉」より





実のところ人の目は物質よりコンセプトが先行する作品に行きがちである。人間はモノガタリというものに弱いからだ。
美術の世界に於いてよく言われる「コンセプト」というものは、作品の中に巧みに韜晦されているものでなければならない、と私は考える。
作家の内部に形成されたコンセプトは、作家の技術と密接に関わり、絡み合い、作品のあちらこちらからにじみ出してくる、というのが美しい様式ではないか。そのためには作品は作品として技術的に充分な美しさを持った上で、言語的な世界と並立すべきなのである。

四年前からはじめた「巧術」の原点は、日本ならではの美術をなんとかしたい、という思いからスタートした。視覚表現のなかで、欧米の美術史の文脈では下位のものとして扱われる「工芸的要素」を伝統的に多分に含むこの国の美術に於いて、輸入された「コンテンポラリーアート」即ち哲学的言語を視覚化するという在り様はとりあえずカッコイイものとして受け入れられたのではなかろうか。言語を成立するためには美しさ、というのはどこかに置いておいた上での制作、それこそが正しいスタイルと、今でも信じられている部分が散見されはしまいか。
その一方で精緻に作られた作品群はいまだに「工芸っぽい」といささか侮蔑的な扱いを受けている事は否めない。

名は体を顕す。アルファベットの「ART」には美しさは含まれなくても良いのであるが、日本語の「美術」にはその言葉の成立当初から「美しさ」という概念が組み込まれた。このことに鑑みて、次のように宣言し直すのはどうだろうか。単に「コンセプトを持った作品」ではなく「コンセプトを持った美しいもの」こそが正しいものであり、美しいものを見つつその知の世界に遊ぶ事こそが美術に対する正しい姿勢である、と。

これこそが巧術の基本概念ではあるが、今年は敢えて「韜晦」と題し、見えている「美しさ」と隠された「コンセプト」を並立させてみせようと試みる。これまでの巧術は、作品の美しさを支える技に焦点が当たりがちであった。しかしこれは一種の誤解を生んでしまったのではないだろうか?美しい工芸的な作品を集めた展覧会であると。高い技術だけを見せつける展覧会であると。今年は、単に美しさや技巧の前で立ち止まるのではなく、その先にある作家の仕掛けたモノガタリに耳を傾けて欲しい。そこまで進んで、はじめて作品の本質に立ち返ることができるのではないだろうか。

三度目の正直を越えた今こそ、巧術の在り様を今一度皆さんに確かめて頂きたいのである。



「巧術ー基本理念」

日本の美術史はそれ以前からの工芸史、あるいは明治維新以降人工的に形成された美術史、また強引に導入された現代美術の系譜といった、複数の歴史の平行によって、お互いに引き裂かれているという奇形化された状態にある。

殊に現代美術は亜細亜経済圏の急激な成長を背景に、その価値が深く浸透する以前に投機と消費の対象となってしまいがちであり、本来あるべき誇りと気高さを確立しきれていない状態にある。更に昨今は中国資本の保守化によって日本美術が忌避される傾向がみられ、その経済的価値すらも国際的に危ういものとなっている。

こうした閉塞感、危機感への率直な返信として「巧術」は企画された。

これまで日本人ならではの物理的な細やかさや器用さは「工芸的」といわれ、西欧的な美術観に於いては、むしろ軽んじられる傾向にあった。
そうした観点、即ちは外国人からの視点による異国趣味、日本趣味に基づかない、より日本の美術ならではの在り方を模索する上で鍵となるのは、その「工芸的」なるものを支える「技巧」である。

「巧術」はこの「技巧」を新たな武器とし、その鍛錬、修練による、自らをより高みへ運ぼうとする作家達の提示によって、これまでの現代美術とは一線を画した、新しい価値観の創造を目指す。即ちは、日本が古来からもつ力をもってして、日本美術の未来、その独自性、その可能性を具体的に示唆しようと目論まれる展覧会である。

池内務 [株式会社レントゲンヴェルケ]


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