おのみち文学の館 / Onomichi House of Literature

 志賀直哉が尾道に移り住んだのは1912年11月、『白樺』のありかたへの居心地の悪さや、父との不和から東京を離れ、友人がほめていたという場所(尾道)に住んだ。住まいは『暗夜行路』そのままに「三軒の小さな棟割長屋の一番奥」で、部屋は六畳と三畳に台所のつつましいものであった。直哉は暖をとるために「ガスストーブ」をガス会社から借りており、ガスの使用料は尾道中で2番目であったというエピソードも残る。旧居からは、近代文学史上、白眉の文章とされる"景色はいい処だった"にはじまる風景そのままに、尾道水道の向こうに「造船所」「山の中腹の石切り場」跡をながめることができる。


志賀直哉旧居、文学公園
広島県尾道市東土堂8-28

中村憲吉旧居
広島県尾道市東土堂13-28

文学記念室
広島県尾道市東土堂町13-28