遠山啓 / Hiraku Toyama「無限と連続」

「数学の本質は自由性のなかにある。」これは集合論の創始者カントールの有名な言葉である。同時にまた偉大な日本人の数学者関孝和(1642-1708)がみずから「自由亭」と号していたことが思い起こされる。


むしろ非論理性のなかにだけありそうに思われる自由が、どうして論理性と両立するのだろうか。「数学的自由」などという言葉は丸い三角形というほどにも不合理な言葉ではないだろうか。

この小さい本はこのことを念頭において書かれた、いわば「数学者の弁明」である。弁明であるから数学者にしかわからない数式はできるだけ使わないことにしたつもりである。たしかに、数式を使わないで数学を説明することは、音符を使わないで音楽を説明するよりはるかにむつかしいことであろう。しかし、音符が読めなくても、感受性さえあればすぐれた音楽の鑑賞家になれるはずである。たとえ、作曲家や演奏家にはなれないとしても・・・。まったく同じように、数式なしで数学を「鑑賞する」ことはできないだろうか。筆者はこんな乱暴きわまる類推を頼りにし、ひたすら読者の知的感受性をあてにしながら、この「弁明」をつづった。  -  遠山啓 「無限と連続 / はしがき」