珈琲、音楽 いーはとーぼ

年中無休
12:00 - 翌1:00

東京都世田谷区北沢2-34-9
tel 03-3466-1815

http://love-shimokitazawa.jp/shops/detail/01130
http://ihatobo.exblog.jp/


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ホーム・タウン

下北沢のその喫茶店を初めて訪れたのは、10代の後半のことだから、かれこれもう20年以上も昔になる。友人たちとあてもなく街をふらふらしていて、その店の入り口の「珈琲、音楽」という看板に惹かれてなんとなく入ったのだが、雑居ビルの2階の小さな店内に比較的大きな音量でその時は坂本龍一(たぶん確かベルトリッチの映画のサントラ)が、しばらくして再び訪れた際にはプリンス(リリースされたばかりの「ラブセクシー」)がかかっており、これはすごいなということでたびたび入り浸るようになった。以来、時折のブランクを挟みつつも、現在に至るまでコンスタントに足を運び続けている。カウンターの奥にいて、だいたいいつもひとりで店を切り盛りしているオーナーが、基本的にすべての選曲をしているらしいのだが、そのセンスが本当にすばらしい(だなんて、若輩者がえらそうな物言いでごめんなさい・・・)。気取りがなく、余計なギミックもない、シンプルに音楽そのものを響かせることにのみ腐心するような音楽家たちの、真摯で楽しく、豊かでおもしろいサウンドが厳選されてかかり続ける。としてもかつてのジャズ喫茶などによくあったような、過度にアーティスティックだったりマッチョ(?)な感じは全然なくて、あくまでポップで穏やかで、そして少しばかりとぼけたふうな、のんびりとゆるやかな空気が店内に漂う。流される曲にはそれぞれの時期の、オーナーのその時点での音楽的関心事が伺えたりもして興味深く、僕にはとてもおもしろい。いつだったか、キャレキシコが頻繁にかかる時期があって、その時は店のカウンターでキャレキシコのCD全タイトルを販売してさえいた。オーナーの熱くて鋭いテキストも添えてあったような気がする。ぼさっとコーヒーを飲んでいる間に僕もそのアリゾナの砂漠に暮らすポップ・マエストロのサウンドのファンになってしまって、その場で一枚CDを買って帰りさえした。
それから、オーナーがこれはすでに聴き尽くしたと判断したのであろうと思われる、この店でかつてプレイされていた古いディスクが安く販売されてもいて、僕はこのコーナーでずいぶんとよい買い物をしている。ジョー・ジャクソンの、トリオによるニューヨークでのライブ盤とか(こういうディスクを好んでかけていたんだなと思うとそのセンスの渋さ確かさに感激してしまう)。あと、大学生の頃、友だちと二人でお茶していた際、スピーカーから流れたある曲に僕は雷に打たれたようになってしまい、普段は絶対そういうことはしないのだが、思わずオーナーにこれなんですかと声をかけてしまったことがあって、オーナーはそんなに気に入ったのならといってプレイ中のそのCDを安く譲ってくれた。フランス語で歌われるその名曲「キリー」が収録されたフランシス・レイのそのディスクは今でも大切な愛聴盤だ。ここ数年はなぜかお店から足が遠のいていて、というか下北沢という街自体から足が遠のいていたということなんだけれど、最近ちょっとした縁があり、また時折立ち寄るようになって、そこで初めて、20数年目にして初めてオーナーと長く話をした。お会計の際に僕の顔をちらっとみて、もしかしてよくいらっしゃいます?と声をかけてくれたのだ。ええ、高校生の頃から。ほうそれはそれは、というふうに。この9月でこのお店も30年になるんですよ、とのことで、はあ、すごいなあと思いつつ、でも僕もその歴史の3分の2以上に関わりがあるんだなと気付いて、うわーっと思ってしまった。初めて訪れた時からお店の内装もオーナーの佇まいもまったく変わっていないから、流される音楽のポリシーもまったくぶれないから、そんなに長い時間が経ったとはにわかには信じがたいのだ。ご存知のとおり、東京という街はありとあらゆる物事が流動的に、スピーディに移り変わっていく場所で、それはそれで決して悪いことではなくそれが大都会の役割であり宿命ですらあるはずだが、一方でこういう喫茶店のような空間が僕の知らないところにも当然ながら本当にたくさん存在しているはずで、それらがある種の重しみたいになって、ずるずるとひとつの流れに流されきらないでいる東京の感じって豊かでいいなあなんて思うのは、単に僕が歳をとったからだろうか。どうなんだろう? でもとりあえず少なくとも、このお店がそのど真ん中に今日も変わらずに存在しているのだなと思うだけで、僕にとってこの東京という街全体がとても愛おしいものに感じられてくることだけは確かだ。先日、ひとりの若い友人を連れてお茶しにいった際には、レジの隣にアルバート・アイラーの再発紙ジャケットのシリーズがずらっと並べられ売られていた。オーナーいわく、なんだかわりと最近みな聴くらしいんですよ、とのことで、僕が、へえ、アイラーをですか? おもしろいですねえって驚いていたら、まあとはいってもこれもそれぞれに500枚ほどしかプレスしないみたいですけどね、とのことだった。 - 蓜島伸彦(画家・絵本作家、2013年BIB金のりんご賞、2015年JBBY賞)





Post by N.Haijima