梶井基次郎 / Motojiro Kajii 全集 全一巻

 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と云ったような趣のある街で、土塀が崩れていたり家並みが傾きかかっていたり ― 勢いのいいのは植物だけで、時とすると吃驚させるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。
 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか ― そのような市へ今自分が来ているのだ ― という錯覚を起そうと努める。   -   梶井基次郎  「檸檬」


挿画:安野光雅 / Mitsumasa Anno